2008年 02月 09日
上野村に住む 哲学者 山内節 |
上野村は、いわゆるボケ老人のいない村としても有名だそうです。
なぜ、上野村がそうなったのか、多くの専門家が調査、研究に訪れているようですが、上野村に移り住んでいる哲学者の内山節は次のように推論しています。
高齢者は誰もが自分の体力にあった規模で農業をしている。それがよいのだろうと言う
人もいる。確かに農業は、1年の時間の流れのなかでの人の役割を、自然なかたちで教え
てくれるから、その役割をこなしている充足感が農民にはある。
もっと大きな理由は、村には「過去」が自分のすぐ横にある、ということだろう。自分が子
供のころに記憶した山も川も、集落も、基本的には変わることなく目の前にある。その頃お
ぼえた農業や山菜採り、茸狩りは、いまもそのままのかたちでつづけられている。一方では
村も変わり、多くの親しい人たちが他界していったにもかかわらず、昔の祭りがいまも続い
ているように、基層的な自然と人間の営みは、「過去」の記憶と変わっていない。それに他
界していった人々も、村に暮らし、村に眠った人々として、「過去」と結びつきながら記憶さ
れている。
村の暮らしのなかでは、「過去」は、現在の自分の生活の中に、再現される場所を持って
いるのである。
内山 節 上野村日記⑪より 東京新聞
濃密な人間関係が人を人たらしめる唯一のものである。このことを上野村は教えている。
なぜ、上野村がそうなったのか、多くの専門家が調査、研究に訪れているようですが、上野村に移り住んでいる哲学者の内山節は次のように推論しています。
高齢者は誰もが自分の体力にあった規模で農業をしている。それがよいのだろうと言う
人もいる。確かに農業は、1年の時間の流れのなかでの人の役割を、自然なかたちで教え
てくれるから、その役割をこなしている充足感が農民にはある。
もっと大きな理由は、村には「過去」が自分のすぐ横にある、ということだろう。自分が子
供のころに記憶した山も川も、集落も、基本的には変わることなく目の前にある。その頃お
ぼえた農業や山菜採り、茸狩りは、いまもそのままのかたちでつづけられている。一方では
村も変わり、多くの親しい人たちが他界していったにもかかわらず、昔の祭りがいまも続い
ているように、基層的な自然と人間の営みは、「過去」の記憶と変わっていない。それに他
界していった人々も、村に暮らし、村に眠った人々として、「過去」と結びつきながら記憶さ
れている。
村の暮らしのなかでは、「過去」は、現在の自分の生活の中に、再現される場所を持って
いるのである。
内山 節 上野村日記⑪より 東京新聞
濃密な人間関係が人を人たらしめる唯一のものである。このことを上野村は教えている。
by kawauchiide
| 2008-02-09 23:27
| 何てことない事