2011年 12月 20日
阿修羅のように? |

お店を開けてはいますが、とてもとても商売が成り立つような状況ではありません。
先ほども、予約以外のお客さんがないようなので暖簾を下げたんですが、警戒区域解除に向けて検問所や、立ち入り禁止区域の看板確認をした帰りだと言う警察官が立ち寄った。見るからに空腹そうな表情に「少しお待ちいただければめしあがれますが?」
「どこも食べるところがないので是非!!」ストーブをつけて、明かりをつけて、蕎麦がまに火を入れた。
こんな事一つとってもすでに警戒区域解除に向けて末端の現場サイドは着実に動き始めている。解除されても住民の不安はさまざまだ、この事は、いわゆる30キロ圏内の線引きされた区域が話題に上りやすいが、またそうしなければならない権力にとって不都合な真実がある事も確かだ。生活に支障のでるさまざまな問題が解決出来ないで放置されていることも事実だ。たとえば郡山、福島の線量の問題、これはこの地区に限ったことではなく、須賀川や白河、県外でも同じ問題を抱えて、日々子供の健康を心配しながら過ごしている住民にとってはやりきれない事実だ。だからと言って解決策があるかと言えばとても難しい問題であることは確かで、それぞれの住民が安全であると考える、思われる選択肢を出来る範囲で模索しなければならない。子供は待ったなしで成長して行くわけですから、猶予がない。誰かに誰かの責任で何とかしてもらおうなどと考えるより、先ずは将来の子供の安全を担保すべく行動することが優先されることであると考える。「津波はてんでんこ」と言われるように、安心安全も実はてんでんこなんだと思う。賠償と言いうのは出来てしまったこと、なってしまった事に対するものですから、避けようのないものですが、これからの安心安全については十分に対応できることですから、どんな選択肢も尊重されるべきだと考えます。
覚悟しなければならないのは阿修羅のような戦いが待ち構えていると言うことです。
by kawauchiide
| 2011-12-20 15:50
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