2011年 11月 12日
おっさんランナーの挑戦 |
3月16日に全村避難をしてから早いもので7ヶ月が経過しました。
川内村に出されていた「屋内退避」は「緊急時避難準備区域」」に変更になり、10月には緊急時避難準備区域も解除になり、来年3月の全村民帰還に向けて、本格的な準備が始まろうとしています。
しかしながら、7ヶ月もの間放置された宅地や自宅の多くは避難した当時のままで、今すぐ戻って生活しようにもできない状況です。さらに農地は国の作付け制限がされたために、背丈ほどもある雑草に覆われ、以前の田んぼの様子を想像出来ない程の荒れように、怒りとやるせなさと、諦めにも似た複雑な感情がこみ上げてきます。
川内村は警戒区域に指定された地域を除いて、奇跡的に放射線量が低い地域が多いのが現状です。一部地域においては除染作業をしなくても十分生活できるレベルであることは確かです。さらに一部の農作物からも放射性物資が検出されないなど、これからの生産活動に明るい話題もあります。原発から30キロ圏内にあって川内村は奇跡的な地域です。
しかしながら、非常に心配なのは、長期間の避難生活で地域のコミュニティーが崩壊してしまったことです。このことは地域が地域であるための核心部分であるだけに、金銭や支援物資では到底補い切れる物ではなく考えれば考えるほど切ない問題です。さらに深刻な問題は放射線に強く影響を受ける子供たちを抱える若い世代が、これから先もその影響を恐れて、川内村に戻らないと言う選択をしていることです。このことは地域のコミュニティー崩壊と合わせて、地域の存続が危ぶまれる瀬戸際です。
今回のこの福島原発事故によって引き起こされた問題はこの事だけでなく、避難を余儀なくされた人だけでなく多くの方の人生そのものが大きく狂ってしまったことです。家族が壊れてしまったことです。避難の辛さから高齢者が次々と亡くなっています。葬儀さえまともに出来ない現実あります。非日常的な生活を日常として受け入れざるを得ないこの辛さは語りつくせません。「平凡な幸せ」が国の原子力政策の甘さから奪われてしまった事は許されていいものでしょか。国家の最大の使命は国民の「生命を守る」ことにつきるはずです。「福島の復興なくして、日本の復興はない」と、この言葉を聞いた時、体の心から力が湧いてくるのを感じましたが、時間が経つにつれて、復興政策のお粗末さに、次第にこの言葉が色褪せてきて絵空事に聞こえてなりません。相変わらず被害者の側に立てないお役所仕事に、怒りが爆発しそうです。私達が奪われた「幸せ」をすずめの涙ほどの補償金や支援物資ではごまかされません。そして決して許しません。これらの問題点は原発立地町、福島県、そして日本全体の自治体が明日にでも置かれる可能性があるという、とても厳しい現実を突き付けられている事を忘れてはなりません。
これからの地域復興には多くの困難がありますが、まずは安心、安全のために生活圏の除染をしっかり実施していくこと。放射線被爆をはじめとした医療体制を相双地区を拠点として整備していくこと。これらの安心安全の上に住民の帰還を促し、生活レベルでのインフラの整備、交通体系の整備、雇用の確保、さらに若者定住の促進、 そして子育てできる教育環境の確保をすることだと思います。このことは国、県が政策の柱として、しっかり主体的に関わりを持ち実現して行かなければなりません。
何よりも優先して「安心して子育てできる環境の確保」は最終目標として捉えています。地域が子育て出来る事は未来があると言うことです。子供たちは川内村の未来であり、福島県の未来であり、日本の未来であるからです。無くなってもいいと言うような地域はどこにもありません。一刻も早く地域に戻ることが出来るように、国の責任において、あらゆる手段を尽くさなければなりません。
そして、僕たちは、今の子供たち、これから生まれてくるであろう子供たちに、この地を、素晴しい故郷を安心して住めるような環境にしてプレゼントしなければなりません。私達大人はその覚悟ができています。そのためには多くの困難を乗り越えていかなければなりません。困難の先には子供たちの笑顔があると思うと、どんな試練も乗り越えることが出来るはずです。事情の違いはあるが、日本国民が大戦直後、焼け野原から復興したように、私達にも出来るはずです。
地元の人は勿論ですが、今こそ日本全国の皆さんと、「絆」をしっかり結んで、復興に取り組んで行く時です。世界に向けて日本人の「本気」を見せるときです!!
「福島の復興なくして、日本の復興はない!!」この言葉を政治の側から住民の側に取り戻し、真の意味で復興を実現するときです。
ALL FOR ONE 、 ONE FOR ALL !
とおっさんは走りながら考えました。
川内村に出されていた「屋内退避」は「緊急時避難準備区域」」に変更になり、10月には緊急時避難準備区域も解除になり、来年3月の全村民帰還に向けて、本格的な準備が始まろうとしています。
しかしながら、7ヶ月もの間放置された宅地や自宅の多くは避難した当時のままで、今すぐ戻って生活しようにもできない状況です。さらに農地は国の作付け制限がされたために、背丈ほどもある雑草に覆われ、以前の田んぼの様子を想像出来ない程の荒れように、怒りとやるせなさと、諦めにも似た複雑な感情がこみ上げてきます。
川内村は警戒区域に指定された地域を除いて、奇跡的に放射線量が低い地域が多いのが現状です。一部地域においては除染作業をしなくても十分生活できるレベルであることは確かです。さらに一部の農作物からも放射性物資が検出されないなど、これからの生産活動に明るい話題もあります。原発から30キロ圏内にあって川内村は奇跡的な地域です。
しかしながら、非常に心配なのは、長期間の避難生活で地域のコミュニティーが崩壊してしまったことです。このことは地域が地域であるための核心部分であるだけに、金銭や支援物資では到底補い切れる物ではなく考えれば考えるほど切ない問題です。さらに深刻な問題は放射線に強く影響を受ける子供たちを抱える若い世代が、これから先もその影響を恐れて、川内村に戻らないと言う選択をしていることです。このことは地域のコミュニティー崩壊と合わせて、地域の存続が危ぶまれる瀬戸際です。
今回のこの福島原発事故によって引き起こされた問題はこの事だけでなく、避難を余儀なくされた人だけでなく多くの方の人生そのものが大きく狂ってしまったことです。家族が壊れてしまったことです。避難の辛さから高齢者が次々と亡くなっています。葬儀さえまともに出来ない現実あります。非日常的な生活を日常として受け入れざるを得ないこの辛さは語りつくせません。「平凡な幸せ」が国の原子力政策の甘さから奪われてしまった事は許されていいものでしょか。国家の最大の使命は国民の「生命を守る」ことにつきるはずです。「福島の復興なくして、日本の復興はない」と、この言葉を聞いた時、体の心から力が湧いてくるのを感じましたが、時間が経つにつれて、復興政策のお粗末さに、次第にこの言葉が色褪せてきて絵空事に聞こえてなりません。相変わらず被害者の側に立てないお役所仕事に、怒りが爆発しそうです。私達が奪われた「幸せ」をすずめの涙ほどの補償金や支援物資ではごまかされません。そして決して許しません。これらの問題点は原発立地町、福島県、そして日本全体の自治体が明日にでも置かれる可能性があるという、とても厳しい現実を突き付けられている事を忘れてはなりません。
これからの地域復興には多くの困難がありますが、まずは安心、安全のために生活圏の除染をしっかり実施していくこと。放射線被爆をはじめとした医療体制を相双地区を拠点として整備していくこと。これらの安心安全の上に住民の帰還を促し、生活レベルでのインフラの整備、交通体系の整備、雇用の確保、さらに若者定住の促進、 そして子育てできる教育環境の確保をすることだと思います。このことは国、県が政策の柱として、しっかり主体的に関わりを持ち実現して行かなければなりません。
何よりも優先して「安心して子育てできる環境の確保」は最終目標として捉えています。地域が子育て出来る事は未来があると言うことです。子供たちは川内村の未来であり、福島県の未来であり、日本の未来であるからです。無くなってもいいと言うような地域はどこにもありません。一刻も早く地域に戻ることが出来るように、国の責任において、あらゆる手段を尽くさなければなりません。
そして、僕たちは、今の子供たち、これから生まれてくるであろう子供たちに、この地を、素晴しい故郷を安心して住めるような環境にしてプレゼントしなければなりません。私達大人はその覚悟ができています。そのためには多くの困難を乗り越えていかなければなりません。困難の先には子供たちの笑顔があると思うと、どんな試練も乗り越えることが出来るはずです。事情の違いはあるが、日本国民が大戦直後、焼け野原から復興したように、私達にも出来るはずです。
地元の人は勿論ですが、今こそ日本全国の皆さんと、「絆」をしっかり結んで、復興に取り組んで行く時です。世界に向けて日本人の「本気」を見せるときです!!
「福島の復興なくして、日本の復興はない!!」この言葉を政治の側から住民の側に取り戻し、真の意味で復興を実現するときです。
ALL FOR ONE 、 ONE FOR ALL !
とおっさんは走りながら考えました。
by kawauchiide
| 2011-11-12 09:11
| 最近思う事